10年目の命日(2006年記)  
<NO5>
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1996年1月30日(火)

午後2時に、池袋のセゾンへ行く。
担当は、電話の女性ではなく男性だった。
『筆跡のわかるものは持ってきていただけましたか?』
「はい、これですけど。」
私は、持ってきたFAXを見せる。
担当の男性が、
『では、これがサインのコピーです。』
そう言って、カードの領収控えのコピーを取り出す。
見た瞬間、涙があふれた。
止まらなかった。
それは、間違えようもなく、彼女の字だった。
筆跡鑑定なんか必要のないぐらい、何の細工もしていない、
いつも、私にFAXをくれる時の、
≪さなえさんへ≫という文字と寸分変わらないものだった。

おかしい。ありえない。なぜ…。
「せめて、左手で書くぐらいの細工しろよ !」なんて、
わけのわからないことを思っている私。
なぜなぜなぜ・・・。
私は生まれて始めて、人前で号泣した。
周りにいた人たちが一斉に振り向くのを感じたが、
とめる事が出来ない。
担当の男性が、なにやら言っているが、耳に入ってこない。
止まらない嗚咽にむせっていると、
いつの間に、担当の男性が、もう一人別の男性を連れてきて、
二人で一生懸命慰めてくれている。

このままここで泣いているわけにはいかなかった。
私は席を立った。

表に出て、冬の太陽の光に目を細めながら、私は、ぼう然としていた。
駅に向かっているはずなのだが、いつまでたっても駅に着かない。
途中、信号で立ち止まり、母に電話を入れる。
(年が明けてから、携帯電話を買ったのだ。)
電話をしながら、又、涙があふれてくる。
皆が振り返る。
とても、電車には乗れない。
彼に電話した。
付き合い始めて、たった3日目の…
いや、知り合って、たった10日目の…彼に泣き付いた。
『彼女が犯人だったの。間違えようがない彼女の字だったの。』
彼は、会社を早退してふっとんで来てくれた。

普段の私なら、
「その程度のことで早退なんかするなよ ! 」
って思ったもしれない。
でも、この日は本当にありがたかった。
私ひとりでは、この思いを支えきれなかった。
その日、そのまま彼の実家に連れて行かれて、初めて彼の親に会う。
この日から、正式に彼と付き合うようになったのだ。

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