2006年2月25日から6日間、ブログに書いたものをこちらに転記しました。

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あれから、丸10年…。

年は少し離れていたけど、当時一番仲良く遊んでいた女の子が、
10年前の今日、自殺した。
飛び降り自殺だった…。

今まで、あまり話すこともためらわれた事件だけれど、
10年たち、このまま記憶が薄れていくのも悲しいから、
彼女の話を10年目の命日にちなんで書こうと思う。


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彼女とは、その事件の1年ぐらい前に知り合っていた。
私が当時やっていたナレーション仕事の一つ、とある会社の社員だった。
非常に人懐っこい性格で、
初めて会って以来、コンスタントに電話やFAXをくれ、
会社仲間との食事会などにも、よく誘ってくれた。
年上の人たちと付き合うのも全然苦にしないタイプで、
おじさんたちと一緒でも、とても楽しそうに過ごす。

金銭感覚も、『バブル終わりの世代』ぐらいだった割には質素。
それになりに、おしゃれだったけど、
古着屋さんめぐりが好きな子で、
「今日は上から下まで全部で800円で〜す。」
なんて自慢するような子だった。
それに、まだ入社1年目ぐらいなのに、年上の私や、おじ様たちとの食事会でも、
「今日はプライベートで来ているのだから、ちゃんと割り勘にしましょう。」
などと言い出し、好きな人におごられるのが嫌いな子だった。

ある時、彼女に
「有給が溜まっているし、旅行に行きましょうよ。」
と誘われ、仕事仲間の男の子一人も誘って、3人でトルコ旅行にいったりもした。
私は二人で行くつもりだったので、彼を誘うと聞いた時は、正直驚いたけど、
別に、彼が目当てで私をダシに使ったわけではなく
本当に、純粋に、「皆で行った方が楽しい。」と、思っていたようだった。

誰に聞いても、『Aちゃんは本当にいい子だよね〜。』と言っていた。
彼女の悪口を言う人など聞いた事がなかった。

そんな彼女が、11月の終わりに突然会社を辞めた。
トルコ旅行から帰って1ヶ月たつか、たたないかの頃だ。
社長とけんかをしたという。
確かにちょっと癖のある社長だったので、まあ、「さもありなん」と、別に驚きもしなかった。
「次の仕事のあてはあるの?」と聞くと
「来年から渋谷のタウン誌で働けそう。」
とのことで、今、アルバイトで週何日か通っていると言う。
それならよかったと安心した。
そして
「今、結構時間があるから、ゴスペルのクリスマスコンサートに行きませんか?」
と誘われた。
当時ちゃんと付き合ってる人もいなかったから、
そんなしゃれたお誘いをしてくれる人もなく、素敵な提案だった。
もちろん断るわけもない…。

そして、ある事件が起こった。

1995年、12月17日(日)

午後2時から大久保のグローブ座で行われたコンサート。
ウーピー・ゴールドバーグ『天使にラブソングを』のおかげで、
ゴスペルはそこそこ有名になっていて、小さなホールながら満席だった。
結構、長時間のライブで、途中、トイレタイムをはさんでの2部構成。
そして、アンコールのスタンディングの時・・・。
なぜか隣の席の彼女が立たない。
ノリの悪い子じゃないのに、どうしたのかな?と思い、
「体調、悪いの?」
って声をかけたけど、大丈夫と言うから気にしなかった。

終わってから、彼女が
『明日家族と出かけるので早めに帰りたい』と言うので、
少し早いけど、高田馬場に出て食事をした。

お会計をしようとしたとき…
…財布がないのに気がついた。

「わっ、お財布がない!!」
『最後にどこで使いました?』と、彼女。
「わかんないけど、少なくとも会場を出から一度もバッグは開いてないし、
休憩時間にトイレに行ってハンカチを出した時が、かばんを開いた最後だから、
そのとき落としたのかも。」
『じゃ、グローブ座に戻って聞いてみましょう。私も一緒に行きます。』
「明日早いのにいいの?」
『大丈夫ですよ。大事件ですもん。』

そこの店の払いを彼女に立て替えてもらい、私たちはグローブ座に戻った。
途中、「そうだ ! カードを止めなきゃ。」と、気がつき、当時使っていたDCカードに電話。

当時は、携帯がやっと一般の人も買える程度の値段になり始めた頃。
私は、まだ持っていなかったので、外の公衆電話からの電話だった。
色々聞かれたので、かなり長い時間、寒い中、隣で彼女は待っていてくれた。

そして、グローブ座へ戻ったけど、落し物の知らせは入っていなかった。
お財布だから無理だろうな〜、とあきらめて、帰りに交番に立ち寄って紛失届けを出し、
彼女にお金を借りて、家へ帰った。

お財布の中は、現金は3万円ほどだったけど、銀行カードや免許証が入っていたので、
それの後始末にゆうつになっていた。
銀行は時間外だったので、明日の朝一で、銀行カード紛失を届けるしかない。
(現在は時間外引き出しも可能だから、24時間受け付けているだろうけど、
当時は、日曜の夜等の現金引き出しは一切出来なかったから、
紛失届けの受付も夜間はやっていなかったのだ。)

今夜はもう、する事がないので、実家の母に電話して、
「聞いてよ〜、大事件〜 ! 」
と、グチグチ話していた。
そのとき突然、
「あっ、そういえば、作ったはいいけど、全然使ってないセゾンカードも入ってたんだ!!」
と、思い出した。
あわてて母との電話を切り、セゾンに電話した。

すると、
『何時になくしました?』
と聞かれる。
「なくした時間はわかりませんが、少なくとも会場に入るときはあったから、
午後1時半〜気がついた4時半の間だと思います。
それから会場に探しに行ったりしたので、
警察に紛失届けを出したのは、午後5時半頃です。」
と答えた。

『では、最後にカードを使われたのはいつですか?』
「ごめんなさい、全然使ってなかったので、多分1年以上前だと思います。」
と、私。
『そうですか…。
本日の午後6時半ごろ、新宿ぺぺで、3万円、7万円の使用がありますね。』
「えっ…?!」 私、絶句。

お金は取られても、カードなんて足がつくから、
絶対使われていないだろうと思い込んでいたのだ。
「でも、裏にちゃんと私の…女名前の署名がしてありますから、
ってことは、犯人は女ってことですよね?」
『それはまだ判りません。これからお店に問い合わせて調査いたします。
お手数ですが、財布の紛失届けの証明番号を警察に問い合わせ、
こちらへお知らせください。』
・・・
前に財布を置き引きにあったときは、現金、しかも1万円札のみ抜き取られていたので、
今回も、なんとなく、財布そのものは出てきそうな気がしていた。
甘かった。
世の中には恐ろしい人がいるもんだ。・・・
放心状態になっていた時、彼女からタイミングよく電話がかかってきた。

『さなえさん、大丈夫ですか?』
「それが大変なのよ〜。1つ、使ってないカードが入っていたのをすっかり忘れてて
今さっきあわてて電話したら、もう遣われてたの !
女のカード使ってるんだから、犯人は女でしょう? すごい人がいるよね〜?」
『え〜、そうなんですか。大変ですね。保険は利くんですかね〜?』
「どうなんだろう? でも、紛失届出してるし、大丈夫じゃないかな?」
『何に使われたんでしょうね?』
「新宿ぺぺでブーツと洋服だって !  でね、使われたのは6時半ごろなんだって。
ってことは、ちょうど私が帰りの電車に乗ってる頃よ !
いったい、何時に拾ったのかしらね?」
『ところで、お財布はどこのブランド使ってたんですか?』
「あはは、どこだろう? 貰ったもんだからわかんないや。
もう結構古かったから、そんなのはどうでもいいんだけど、
免許証の再発行や、銀行カードの再発行がめんどくさいよ〜。
明日、早速、鮫洲に行ってくるわ。」

そんな話をして、電話を切った。
3日後にちょっとしたパーティーに彼女を呼んでいたので、
その日に、借りていたお金を返し、
又ひとしきり、犯人はどんな人なんだろうねぇ、なんて話をしていた。
ただ、時は年末年始。
忙しさの中に忙殺されて、私の中では「ちょっとネタになる話」程度のことに、
過去のことになりつつあった。

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          2
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1996年…。年が明けた。

年明けそうそう、彼女から
「お買い物に行きませんか?」と電話。

1月4日に、渋谷に買い物に出て、久しぶりに、年末の事件の話をする。
「セゾンから何にも言ってこないのよ。
だから、月末に請求書が来ない限り、保険が利くのかどうかもわかんないの。」
『そっか、大変ですね〜。
私も新しい仕事が本当は来週からだったのに、少し伸びてるんです。』
「じゃ、お互い無駄遣いしないで早く帰ろう。(笑)」
と、食事もしないで帰ってきた。

本当は、カードのことなど心配もしていなかったのだが、
彼女の方の仕事が、なんとなく怪しいのかもしれないと心配したのだ。
渋谷のタウン誌だというのに、「そのタウン誌、どこかで配ってないの?見たいな。」
って聞いても、なんとなくうやむやにされたので、
もしかすると、その会社に勤める事を逡巡しているのかな?
って気がしたのだ。

それから2週間後の、1月18日(木)・・・。

午後から、仕事があって、その支度でバタバタとしている時に、電話が鳴った。
セゾンからだった。

『セゾンカード紛失係です。
年末の件、カード使用の控えのサインが手に入ったのですが、
お名前も電話番号も間違いがありませんでした。』
と言う。
えっ? なんでだろう? って思ったけど、すぐに気がついた。
「あぁ、もしかすると名刺が入ってたかもしれません。
名前は漢字でした? 平仮名でした?」
『平仮名でした。』
「じゃあ間違いないわ。実は、免許証の名前は漢字なんです。
そっちを見たら、漢字でサインするだろうけど、
平仮名になってるってことは、名刺を見たんだと思います。」

その後、いくつかの質問に色々答えていたんだけど、
突然、係の人の声のトーンが変わった。

『実は、ご本人の名前と電話番号が合っている場合、
ご本人が使用しているのに、嘘の紛失届けを出している場合が結構あるのです。
しかし、私どもは、長年こういう対応をしておりますから、
あなた様が嘘をついていないのは、十分判断できました。
となりますと、とても言いにくい事ですが、
私どもは、あなた様のお友達が犯人であると判断いたします。』

一瞬、何を言われているのか、理解できなかった。
『あなたのお友達が犯人・・・』
おともだち・・・?

…彼女の事を疑っているのか?!

「ど、どういうことですか? そんな、ありえません。」
『あなた様がどうお思いになろうとも、
こちらとしては、警察に、被害届けを出さなくてはなりませんから、
そうしましたら、警察も、お友達を疑われると思います。
ご本人様に、一度お話をなさってみてはいかがですか?
そして、もしお友達が、弁済していただけるのでしたら、
こちらは、今回は被害届けを出しませんから。』

「…でも。彼女がそんなことするなんて信じられません。何を根拠に…」
『お友達の書く文字はごらんになった事がありますか?』
「え?… はい。よくFAXを貰ってましたから。」
『では、弊社にお越しください。
サインの控えがございますから、ご覧になれば、納得いただけるかもしれません。』

頭の中で、いろんなことがぐるぐる渦を巻いていた。
彼女が?
確かに、彼女なら、私の名前は、平仮名でしか知らないし、
電話番号は、毎日のようにFAXや電話をくれてたから、空で覚えているだろう。
犯行時刻は、私と分かれた後だ。
財布をなくしてから、犯行までの妙なタイムラグも、確かに彼女の犯行なら納得できる。
でも、全部状況証拠だ。

…だけど、サインがある。
警察に届けられれば、警察は彼女の筆跡を鑑定するだろう。
もしそれが本当に彼女のものと一致したら…。
体が震えた。
とにかく、先ずは私が確かめに行こう。
それからだ。

頭が真っ白のまま、私は仕事に出かけた。

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          3
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人間、あまりにショックな事が起こると、それを拒絶しようという心理が働くらしい。
朝のショックな出来事を、まるで、『なかったことにしよう』と思っているかのように、
私は異常なぐらい明るく仕事をこなし、
その後、友達との待ち合わせ場所へ向かった。

実は、前日、その友達の家に遊びに行っている時、
彼女の知り合いから電話がかかってきた。
『来週社員旅行でグアムに行くんだけど、突然一人がいけなくなっちゃって。
誰か一緒に行く人いないかな?』
という、とんでもない電話だった。
そして、とんでもない事に、友達が、
「私は無理だけど、今、一緒にいる子がいけるかもしれないよ。」
と言って私に電話を渡す。
へ? 何言ってるの?
と思ったけれど、受話器を渡されてしまったら、仕事柄、明るく出でしまう私。(笑)
少し話をして、お友達に電話を変わると、
「楽しい人だから、是非友達になりましょうって。
彼の奥さんも来るから、明日会いに行こう ! 」
なんちゅう強引な!!
そうして、引っ張ってこられたわけだ。

もちろん、そんな知らない人たちとの旅行に参加しようなんて気は、さらさらなかった。
ただ、「お友達のお友達に会う」、という程度のノリで行っただけなのだ。
しかし、社長や奥さん、社員たちと楽しく話しているうちに、
気がつくと、旅行に行く事が既成事実のようになっている。
「でもでも、そんなつもりないし、最後の最後に断ればいいや。」
普通の心理状態なら、100パーセント、この段階できっちり断っていた。
でも、朝のショックな電話のせいで、どこか、頭の中の機能が麻痺していたらしい。

年の近い奥さんと盛り上がっておしゃべりしている間に
社長と社員がどこかへ行った。
と思ったら、戻ってきた時、私の名前の載った飛行機のチケット。
え?
『もう、断れないでしょ。』にっこり微笑む奥さん。
ひえ〜、ほとんど人さらいだ〜。
そう思いながらも、
「そっか、チケットに名前がかかれちゃったら仕方ないよな。」
と思っている私。
あ、ありえない。...(..)、

その5日後には、私はその知らない人たちの社員旅行で、グアムにいた。
頭の片隅には、常にAちゃんの事があるのだけれと、
「認めたくない」、「なかったことにしたい」という心理の方が強く
完全に、現実逃避していた。

そして、最終日。
その日までは、単に「知り合ったばかりの友達」だった社員の人と
帰りの日に、なぜか唐突に付き合う様な雰囲気になっていた。
あぁぁぁ、ありえない。...(..)、


…帰国、翌日。

セゾンから電話がかかってきた。
『よろしければ、明日筆跡を見にいらしてください。』
いよいよだ。
私は、彼女から貰ったFAXをカバンに収めた。

1996年1月30日(火)

午後2時に、池袋のセゾンへ行く。
担当は、電話の女性ではなく男性だった。
『筆跡のわかるものは持ってきていただけましたか?』
「はい、これですけど。」
私は、持ってきたFAXを見せる。
担当の男性が、
『では、これがサインのコピーです。』
そう言って、カードの領収控えのコピーを取り出す。
見た瞬間、涙があふれた。
止まらなかった。
それは、間違えようもなく、彼女の字だった。
筆跡鑑定なんか必要のないぐらい、何の細工もしていない、
いつも、私にFAXをくれる時の、
≪さなえさんへ≫という文字と寸分変わらないものだった。

おかしい。ありえない。なぜ…。
「せめて、左手で書くぐらいの細工しろよ !」なんて、
わけのわからないことを思っている私。
なぜなぜなぜ・・・。
私は生まれて始めて、人前で号泣した。
周りにいた人たちが一斉に振り向くのを感じたが、
とめる事が出来ない。
担当の男性が、なにやら言っているが、耳に入ってこない。
止まらない嗚咽にむせっていると、
いつの間に、担当の男性が、もう一人別の男性を連れてきて、
二人で一生懸命慰めてくれている。

このままここで泣いているわけにはいかなかった。
私は席を立った。

表に出て、冬の太陽の光に目を細めながら、私は、ぼう然としていた。
駅に向かっているはずなのだが、いつまでたっても駅に着かない。
途中、信号で立ち止まり、母に電話を入れる。
(年が明けてから、携帯電話を買ったのだ。)
電話をしながら、又、涙があふれてくる。
皆が振り返る。
とても、電車には乗れない。
彼に電話した。
付き合い始めて、たった3日目の…
いや、知り合って、たった10日目の…彼に泣き付いた。
『彼女が犯人だったの。間違えようがない彼女の字だったの。』
彼は、会社を早退してふっとんで来てくれた。

普段の私なら、
「その程度のことで早退なんかするなよ ! 」
って思ったもしれない。
でも、この日は本当にありがたかった。
私ひとりでは、この思いを支えきれなかった。
その日、そのまま彼の実家に連れて行かれて、初めて彼の親に会う。
この日から、正式に彼と付き合うようになったのだ。

・−・−・−・−・−・−・−・−・
         4
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私は完全に現実逃避していた。

とても私の口から、彼女に問いただす事など出来ない。
でも、このままほおっておいたら、彼女は告訴されてしまう。
時は月末。
私は、毎月月末に、
その月の仕事の請求書を各会社に送っていた。
そして、請求書には必ず
担当者宛の一言メッセージを入れることにしていた。

私は、彼女が勤めていた会社の担当者に手紙をしたためた。
その方は、私に仕事を発注してくれたご本人で、
Aちゃんを紹介してくれた方。
彼女や他の仲間と一緒に食事をしたことも何度もあって、
Aちゃんの上司ではあるけど、プライベートでもわりと仲のいい間柄だった。
相談するとしたら、この人しかいなかった。

「お忙しいところ申し訳ありませんが、ちょっと相談に乗っていただけませんか?
Bさんに関係ないと言えばないことなんですが、
縁があるといえば、少しは縁のある話なので、是非よろしくお願いします。」

えらい回りくどい書き方だったが、
私にはこれ以上はっきり書くことなど、とても出来なかった。
ところが…。

Bさんから、翌日電話がかかってきた。
そして、開口一番、
『Aちゃんの事?』と、聞いてきた。
「えっ…。何故、どうして判るんですか?」
『やっぱりそうか。
実は、彼女が会社をやめるにあたって色々あってね…。』

・・・・・・・・

Aちゃんは、ダイビングをやっていて、
社長とは、そのダイビングショップで知り合い、その縁で入社した。
社員の中には、同じようなダイビング仲間も何人かいて、
つまり、社内の人間は、彼女のプライベートな部分もかなり見ていた。
そして、最初にも書いたように、皆口をそろえて、
『彼女は本当にいい子だよね。』という。

彼女が入社して、しばらくしてから、
会社のお金が無くなるという事件が始まっていた。
最初は、
社員が引き出しの中にためている500円玉がなくなったとか、その程度のものだった。
皆も、
『あれ、入れてたと思ってたけど、自分の思い違いかな?』
と、大して気にしていなかったらしい。

ところがある日、経理担当の女性が昼食にいっている間に、
手提げ金庫の中に入れておいた現金が無くなる事件が発生した。
外部からの侵入か、内部犯行か…。
ついに、警察を呼ぶ騒ぎになった。
しかし、警察では、
『外部からの侵入ではありません。内部犯行です。』
という判断に。
そして、経理担当の女性が、嘘をついていると疑われ、
その子は会社を辞める羽目になった。

経理の子が辞めてから、しばらく、お金が無くなる事件が鳴りを潜めたので、
『やはり彼女が犯人だったのか・・・』
そう皆が思い始めた頃、又、お金のなくなる事件が始まってしまった。
社長がデスクの引き出しの中にしまって置いた 封筒の中の1万円札が、
毎日1枚ずつ減っていくのだ…。
まだ、社内に犯人は残っていたのか。
頭を痛めた社長は、一計を案じる。

まだ、やっと携帯が一般人でも何とか手に入り始めた頃なので、
もちろん、メールなど誰も使っていない時代。
ただこの会社は、コンピューターのソフト技術を取り扱っていた会社なので、
電話を使った、社員への「一斉告知システム」が出来ていた。
それを利用して、社員全員が聞けるシステムに、
『今日、デスクの上に置いた金を盗んだところを、隠しカメラで撮った。
このまま警察へ持っていってもいいが、本日中に謝罪に来れば、告訴はやめる。』
みたいな告知を入れたらしいのだ。

そして、その日現れたのが、
誰も…
もちろん、社長も、Bさんも…予想だにしなかった…
Aちゃんだったのだ。

・・・・・・・・

Bさんの話によると、話し合いの末
1、会社は本日付で、解雇。
2、今まで盗んだお金は、2年の分割で返却する。
3、今後、2度とこのようなことをしないと誓う事。
万一、どこかで同じような事をしたということが耳に入ったら、
それがまったく会社に関係ないことだとしても、今回の事を告訴する。

ということになったらしい。

つまり、彼女にはそういう『癖』があったというのだ。
『一緒に旅行に行ったとき、大丈夫だった?』
とも、逆に聞かれた。
全然、まったく、そんなことは何もなかった。
私にとって、一昨日までの彼女は完璧だったのだから。


彼女は、大学の時、他大学のヨットサークルに属していて、
そこでかなり嫌な事があったらしい。
当時、かなり太っていて、それに関しても何か言われたようで、
その後、典型的な『過食症の拒食症』になった。
大量に食べては全部吐き戻すので、ガリガリに痩せてしまい、生理も止まったのだ。
それで、精神科に通っている。
盗み癖は、その頃から始まったらしい。
一種のジキルとハイドで、
普段、ありえないほどいい子だったのは、
ある意味、そういう精神的なバランスが崩れていたのではないか。
ということだった。

『トルコ旅行に10日も行っただろう?
実は、何でそんなお金があるのか、皆で不思議がってたんだよ。』
Bさんは、そうも言った。

私は、一度も就職をしたことがないので、短大を卒業した21〜22才の女の子が、
手取りでいくら貰っているのかなど、見当もつかなかった。
ただ、実家から通っている子だったから、給料は全部、こずかいだったろうし、
洋服も、「古着でトータル800円」ですんじゃうような子だから、
トルコに行くくらいの貯金はいくらでもあるだろうと思っていた。
確かに、一緒に行った5歳ほど年上の男の子が
予算がきついとぼやいていたけど、
「男の子は、貯金なんてしないからね。女の子は別 ! 」
と、思い込んでいた。

『だって、ダイビング旅行にだって、彼女はしょっちゅう行ってただろう。』
と、Bさん。
あぁ、確かにそうだった。
でも、それだって彼女は
『すごい貧乏旅行なんですよ。
滞在費浮かせるために、行くと必ず、旅館で仲居のアルバイトしてるんですから。』
と言っていた。
だから、だから、…お金の出所なんて、想像もしていなかった。

私は、いったい彼女の何を見ていたのだろう…。

精神科の病院に通っていたのは知っていた。
しかし、彼女は私に
『生理不順で病院に通っているの。』と言っていた。
言いたくない事をあえてほじくる事もないだろうと、知らないフリをしていた。

ヨットサークルでいやな思いをした…という話も本人から少し聞いていた。

私はチラッと、(まだ当時は、知られてもいなかったけど、)
早稲田大学のサークル「スーパーフリー」みたいな話なんだろうな…と、思った。
正直、「スーパーフリー」みたいな話は、昔から大学にはいくらでも転がっている。
(計画的というのはともかくとして。)
ただ、そんなことを告発できるような社会的風潮もなかったし、
言った所で、もっといやな思いをするのは女の子自身だから、
女の子たちは皆、黙っているのだ。

…だから、Aちゃんも
きっとそれ以上は聞いてほしくないんじゃないかと思って、あえて聞き出さなかった。
(単なる私の勝手な想像だけど。)

食べ物を吐き戻しているのも知っていた。
皆で食事に行くと、彼女は帰る間際に、必ず長いトイレに行く。
最初はそれが何を意味するのか良く判らなかったが、
トルコ旅行に行って、はっきり判った。
気配は消していたが、間違いなく、毎食後吐いている、と。
でも、私は何も言わなかった。
なぜなら、仕事柄、スレンダーなお友達は沢山いて、
彼女たちが、そのスタイルを保つために吐いている事をよく知っていたから。

「Aちゃんはスレンダーでうらやましい。」みたいな話をした時、
『学生の時はすごく太ってたんです。』って言ってたから、多分そのコンプレックス…
ヨットサークルでの事件等も絡み、そういうことをしているのだろう…。
だから、今吐いている事についてとやかく言うのは、きっと逆効果だ。
それに、ある程度年齢が行ったら、自然にやめるだろう…。

そう、思っていたのだ。

私の対応は間違っていたのだろうか?
もっと突っ込んだ方がよかったのだろうか?
私は、彼女よりかなりお姉さんだった。
だから、下手な事を言うと、「説教」になってしまいそうで、
今考えると、友達としてのバランスを崩すのが、きっと、こわかったのだろう。
それが間違いだったのだろうか?

最後に、Bさんが言った。
『この件は、うちの社長に預からせてくれる?』

…渡りに船だった。

「ありがとうございます。よろしくお願いします。」

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         5
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それから1週間…。
社長が彼女に対してどんな対処をしているのか、連絡がないから判らない。
Bさんから、社長と彼女が話し合っているらしいことは聞いたが、
『僕も、社長から細かい事は聞いてないので、良く判らないんだ、ゴメンね。』
とのことで、不安な日々を過していた。

私は基本的に、人に相談したり愚痴ったりするのが嫌いなたち。
でも、毎日のように色んな友達に会ったり、電話を貰ったりしてたから、
その時に、『今何してるの?』なんて近況を聞かれたら、
「カード使われる事件があってね。」なんて話は少しした。
そして、ある程度仲のいい子たちには、Aちゃんの事も話した。
でも、その反応は、私にはきつかった。

多分、私を慰めようとしての発言だとは思うのだけど、
「お金のことは、もう全然気にしてないんだけど。」
って言ってるのに、
『お金、3万円は惜しいよね。私もお財布落とした時、1年ぐらい悔しかった。』
って見当外れな事を言う子。
「彼女は私にとって、本当にいい子だったんだよ。」
って言っているのに、
『それって、彼女は最初からあなたのお金が目当てだったんじゃないの?』
と言う人。
「私が不注意でお財布なんか落としたから、
彼女もつい、そんな馬鹿なことをしたんだと思う。」
って言ってるのに、
『計画的だったのよ、絶対。
アンコールのスタンディングの時、カバンから抜き出したに違いないわ。』
って言う子。

不愉快だった。
そりゃあ、彼女が悪いよ。
そんなことは判ってるさ。
でも、彼女が何でそんなことをしたのか、
私は、そっちを考えようと、必死で思っているのに、
何でそんな、傷口に塩を塗るような事を言うのかな。

逆に男の子たちは、
当時、私のことを好きと言ってくれている人達が何人かいたけれど、
少なくともカード事件のことぐらいは話してるのに、
次に電話がかかってきたとき、
「例のショックな事件の続報なんだけどね…」
というと、
『えっ、どんなショックな事があったの?』みたいに、
全然私の事なんかに興味がない…、
単に、≪自分の話を聞いてくれるさなえちゃん≫が必要だっただけ…
って事がはっきり判ってしまった。
…いや、本当はわかっていたのだ、そんなこと。
でも、それでもかまわないと思っていた。
人の話を聞いてあげるのは嫌いではない。
むしろ、「必要とされている」という喜びを与えてくれる行為だ。
だから、友達としては、そういう人たちも私には必要だ。
だけど、この時の私には、耐えられなかった。
こんな人たちは必要ないとまで思ってしまった。

もう、みんな、どうでもよかった。
私は完全に自分の殻にこもった。
女友達も、自分勝手な男友達も、もうどうでもいい。
彼だけは、黙って私の話を聞いてくれる。それだけでいい。
完全に逃避だった…。
私こそ、彼自身の事など何も考えていなかったのかもしれない。
ただ単に、黙って私の話を、聞いて、頷いてくれる人が欲しかっただけかもしれない…。

今、スケジュール帳を見返すと、
仕事以外にも、毎日、ボランティアだ営業だと出歩き、
そのどれもない日も、誰かしか知人と会っている。
私のプライベートを知らない人達、
プライベートを話さなくてすむ人達、
彼女のことを話さなくてすむ人達との時間が、
私には必要だったのだ…。


その後、2度ほど、社長から電話が来て、
『Bさんから話は聞いたけど、もう少し詳しく教えて欲しい。』
と聞かれた。
でも、Bさんに話したこと以外は、私も何もわからない。
だから、同じ話を繰り返すしかない。
私にはつらい時間だった。

そして、Bさんと電話で話してから3週間になろうとする頃…。

『火曜日にAちゃんと会う約束をした。
彼女の両親も呼ぶように言ってある。さなえちゃんも来てくれる?』
と、社長からの電話。
「えっ、私、行かなきゃダメですか? 彼女の顔、今は見たくないのですが。」
『う〜ん、隠れていていいから来て欲しい。』

多分、社長自身も、一人で行くのが不安なのだろう。
私も、人にイヤな役回りを押し付けた手前、嫌とは言えなかった。

『全日空ホテルのロビーに4時の約束してあるから、
その1時間前に来て欲しい。色々打ち合わせがあるから。』
…打ち合わせ?なんの?
意味がわからなかったが、
社長も、緊張を解くために私が必要なのだろうと理解して、しぶしぶOKをした。

1996年2月20日(火)

全日空ホテルのロビーでお茶をしながら、
社長がこれまでどれだけ彼女を可愛いがっていたか、
それを裏切られてショックだとかいう話を聞かされた。
4時少し前に、促されて、社長を残し、私は奥のテーブルへ。

私からは、社長ははっきり見えなかったが、
4時半を回っても、5時になっても、
人と話している気配はなかった。
…そして、社長は私のところへやってきた。


『Aちゃん、失踪したそうだ…。
今、家に電話をしたら、両親は会社のお金を盗んだ事など何も聞いていなかったし、
それどころじゃないと怒鳴られた。
部屋に、目張りがしてあって、ガス自殺しようとした形跡があるそうだ。
財布も洋服もそのままで、
パジャマにコートを引っ掛けた状態で、表に飛び出したと言っている。
とにかく、今日はもう誰も来ないので引き上げよう。』

失踪? 自殺未遂?
その二つの単語が私の頭の中でぐるぐる回っていた。

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2日後…。

彼女の姉から電話がかかってきた。
とてもサバサバした口調で、
『ご迷惑かけて、本当にすみません。
あの子が使ったお金、お返しします。おいくらでしょうか?』
と、聞いてきた。

「そんなことより、Aちゃんは見つかりましたか?」
『まだなんです。どこで何をしているのか…。本当に馬鹿なんだから。』
お姉さんもまた、必死で自分自身と戦っているのだと感じ、
私は、それ以上何も聞けなくなってしまった。
彼女に金額を伝え、翌日会う約束をした。

2月23日(金)、午後5時半。

駅の改札で待ち合わせをし、お金を返していただいた。
お姉さんの話によると、
Aちゃんのお友達にも皆連絡して、必死で探しているけれど、
まだ消息はつかめないとの事だった。
失踪して、丸4日がたっていた…。

「大丈夫ですよ。まだ見つかってないって事は、
きっと私達の知らない男の人の家かなんかに転がり込んでるんですよ。
ほとぼりが冷めたら、帰ってきますよ。」
と、私。
『どうなのかな。正直、もうあきらめているんですけどね…。
あの子は、子供の時にも、近所のパン屋でクリームパンを盗んだ事があったんです。
その時きつく叱られたから、もうそんな癖はなくなったと思っていたのに…。
その事件のあとは、本当に別人かと思うぐらいいい子になったんです…。』

何もいえなかった。
もちろん、家族だから、一番、無事に帰ってきて欲しいと願っているだろう。
だけど、家族だからこそ、帰ってきてからの彼女の地獄の苦しみも想像できて、
こんな言葉になったんだと思う。

そう、本当に、まれに見るいい子だった。
それは家庭の中でさえ、…だったようだ。
だからこそ、その仮面が剥がされた場所に、
彼女はとても戻れないだろう事は容易に想像できた。

なのに…。
何故、追い詰めてしまったのだろう。
社長なんかに任せなければよかった。
私が、勇気を出して、彼女を怒ればよかったのだ。
そうすれば、彼女は、もう私の前には顔を出せなくなっても、
それ以外の居場所は確保できたのだ。
私が追い詰めたようなものだ。

判っていたのに…。
人に任せれば大事になると、どこかで判っていたはずなのに。
私は怖かっただけだ。彼女が私の前から去ることが…。

それでも私は、必死に想像していた。
彼女が、誰か知らない男の人の庇護の下にいることを…。


1996年2月25日(日)…。

その日は、朝から、ボランティアでティボールの大会の司会に行ったり、
午後は、ラクビー日本選手権の決勝に行ったりして、慌しい一日だった。
試合後、彼に迎えに来てもらって、早めの食事に行った。
夕方から、冷たい雨が降り始めていた。
家に帰り着いてすぐの、夜7時過ぎ頃…
ついに…。
その電話が、かかってきてしまった。

社長からだった。

『Aちゃんの遺体が見つかった…。
昨日発見されて、今日家に連れ帰ったそうだ。
家から50メートルと離れていないビルから飛び降り、
ほとんど人の出入りがない裏庭に落ちたので、発見が遅れたようだ。
多分、23日(金)の午前5時ごろ飛び降りたんじゃないかと言われたらしい。』

当時は、まだ地球温暖化の影響など、ほとんど出でいなかったから、
2月は一年で一番寒い時期だった。
今週始めの、春のような暖かい日など一日もなかった。
2月19日の夜中に、着の身着のままで家を飛び出し、3日半。
お金も持っていなかったというから、
物も食べずに、そのビルの踊り場にうずくまっていたのだろうか?
空腹と寒さで、朦朧として、何も判らなくなっていたのかもしれない。

…2日前、私が彼女のお姉さんと会った時には、
彼女はもうこの世にはいなかったのだ。
お姉さんが、『もうあきらめています。』と言い、
私が、無理な妄想をしていたとき、彼女は何を思っただろう。

社長の電話に、私はほとんどろくな返事も出来ず、ただ、黙って聞いていた。
しかし、電話を切った後、われに返って、Bさんに電話をした。

Bさんは泣いていた。

『何で社長なんかに任せちゃったんだろう。
あの人には、うまく収める事が出来ないのは判かっていたのに。』
「私が悪いんです。自分でちゃんと話すべきだったんです。」
『いや、僕もつらくて社長にまかせっきりにしたんだ。
僕が一番親しかったのだから、僕が言うべきだった…。』

涙が止まらなくなった。
何か、何か方法はなかったのか。
彼女のこの悪い癖を止め、なおかつ、こんな悲しい結末にならない方法が…。

いくら考えてもわからなかった。
ただ、自分が彼女を追い詰めたという事実だけが、
現実として目の前に転がっていた。


1996年2月27日(火)

夕方から、彼女の通夜だった。
行くのが怖かった。
彼女の母にどんなに罵倒されるだろう。
私は、彼女の母にとって怨んでも恨みきれない相手だ。
彼女を死に追いやった張本人なのだから。
それでも、私は行かないわけにはいかない…。

斎場までの道は、信じられないほど暗い道だった。
まるで悪夢の中を歩いているような頼りなさで、
私は斎場へと向かっていた。
ほの明かりとともに、人のざわめきが聞こえてきた。

彼女の学生時代の友達らしきグループが、固まってささやいている。
「拒食症で精神科の病院に通ってたんだって。」
そうか、そういうことになっているのか。
それならよかった。

誰とも顔をあわせないように、うつむいたまま彼女の霊前へ進む。
しかし、お線香をあげ手を合わせていると、
私は、色んなものがこみ上げてきて、我を失った。
「馬鹿やろう!! 戻ってこい。戻ってもう一度ちゃんとやり直せ ! 」
体が震えて止まらなくなった。

逃げるように霊前から離れようとしたその時、
すっと、彼女の母らしき人が近寄り、私の肩を抱いた。

『さなえさんでしょう? どうぞ顔を見てやってください。』
言葉が出ないほど驚いたけれど、黙って頷き棺に向かう。

その壮絶な死のわりには、彼女は綺麗な穏やかな顔をしていた。

『…さなえさんのお話は、いつも聞いてましたよ。
トルコ旅行から帰ってきてからは、
「一緒に旅行して、あんなに楽しかった人は初めて。」とか、
「誰と旅しても、みんな私に任せっぱなしで、疲れて仕方なかったんだけど、
さなえさんとだと、自由にのびのび出来る。すっごく楽しい旅行だった。」
とかって、何度も何度も聞かされましたから。
あの子は、本当にさなえさんが好きだったんです……。
なのに、…そんな人に、こんな、こんなご迷惑をかけるなんて、
ほんとに、本当に、ごめんなさい。』

「そんな…。私こそ…。」

…救われた。

周りの友達に色々言われて、否定はしてたけど、
心のどこかで、「もしかして私、彼女に嫌われていたの?」
という疑問にさいなまれていた。

思ってもいなかった、お母様のこの言葉で、
私の心に突き刺さっていた氷のトゲが一つ、静かに溶けていくのを感じた…。

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あれから10年。
彼女の家族とは一度も連絡をしていない。
命日の度に御連絡を差し上げようかと思うのだが、
思い出したくないこともあるだろう。
このままそっとしておくのが一番いいのだ。
だって、私は忘れないのだから。
彼女の事を一生…。

3年前、縁あって7歳で我が家に来た猫のミルは、
まもなく10歳の誕生日を迎える。
でも、実は正確な誕生日はわからない。
ふと、
「ねぇ、もしかして、ミルってAちゃんの生まれ変わりなの?」
と、ミルに聞いてみた。
もちろん返事はない。
そんなわけ、ないよね。
そう言って、ミルの頭を撫でる。

Aちゃんの生まれ変わり?
そんなわけ…ないよね…。

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追記
Aちゃんの事件以来、
ありえないような不思議な縁で付き合い始めて10年の彼と、
彼女の命日を待たず別れることになった。
別に、ケンカをしたわけではない。
唐突に、別れざる得ない事件が起こっただけだ。

「縁」という、摩訶不思議な流れの中に身をゆだね、
そうして、10年目にめぐってきた一つの「節目」。
単なる思い込みかもしれないが、
人生に付きものの、この二つのワードが、
何か大きな意味を持って、今、私の前にある。

10年間、常に私の中にあった大きなわだかまりと後悔。
10年目にしてやっと、彼女のことを書くことが出来、
その怒涛の日々を精神的に支えてもらった人とは、今、別々の道を歩もうとしている。

10年間、私の中に封印されていたなにかから、
やっと今、卒業できるのかもしれない。


   ☆・゜・。・・☆゜・。・。。・゜☆・☆゜・。・・☆・゜☆・゜・☆。☆・゜・。・・☆゜・。・。。・゜☆・



『10年目の命日』に、6日間お付き合いくださいまして、ありがとうございました。<(_ _)>
あまりに重いお話で、ブログ向きではなかったと反省していますが、
どこかで区切りをつけなければという思いで、一気に書ききりました。

昨日、「Bさん」からメールがあって、
「社長が悪者になりすぎてて少し可愛そう」と言われました。
ちょっとそんな書き方になっていたところがあったら、ごめんなさい。

社長も、もちろん彼女を可愛がってた事は間違いありません。
社長が気に入って入社させた子だし、
事件が発覚した時も、「2度とこんな事をしないように。」と考えての温情でしたし。
もちろん、彼女の死には、ものすごく動揺してました。
その後の対処の仕方に、若干批判もあったようですが、、
嫌な事を押し付けた私には、何も言う権利はありません。

「社長なんかに任せた私が悪い」と思ったというのは、
「人になんか、任せてはいけなかった」という私の反省です。

誰も彼も、一体どうしていいかわからない、
そして本当は、今でもよく判らない…出来事でした。

人の心の中に、どれだけ踏み込んでいけばいいのか、
どれだけ踏み込んではいけないのか…
あまりに難しいことで、一概には何も言えないと思います。

ただ、私も、Bさんも、周りの人も、みんないまだに彼女の事が好きです。
それだけは、本当に救いです。

合掌

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